監督の“声”

 例えば、3.11。津波で家族を失った人はそのことを決して忘れません。原発事故で住んでいた土地を奪われた人も忘れません。その痛みを抱えたまま、生きていきていかねばなりません。

 だけど、我々はどうでしょうか? 3.11のことも、原発事故のことも、福島のことも時と共に忘れていないでしょうか? 口では忘れてはいけないと言いながら、日々の暮らしの中で忘れようとはしていないでしょうか? 痛みを忘れてもいい人ほど忘れず、自分を赦せない。痛みを記憶に留めなければいけない人ほど忘れ、何の教訓にもしない。これは何も3.11に限ったことではありません。

 例えば、先の戦争。我々は日本がアジア諸国で犯した罪を忘れ、受け継がず、時には記憶を改変さえしていないでしょうか? 足を踏まれた者にしか、足を踏まれた者の痛みは分からないといいます。でも、それでは悲し過ぎやしませんか? すべての動物の中で、想像力を持っているのは人間だけです。足を踏まれたことがなくても足を踏まれた人の痛みに思いを馳せることができるような映画をずっと作りたいと考えていました。

 この映画の主人公である樽川和也さんは、原発事故でお父さんを奪われ、放射能で土地を汚されました。それでも、彼はその地で農業を続けています。自分の代で、先祖代々受け継がれてきた土地を手放すわけにはいかないと彼は言います。そんな彼から発せられる言葉を撮りたいと思いました。映像で語られる映画において、言葉を撮ることはもっとも映画的でない行為かもしれません。しかし、言葉を撮ること――言葉を語る彼を撮ることで、言葉の向こう側にあるものが想像できるのなら、それこそが映画ではないかと思いました。彼の言葉からは、この国が抱える様々な問題が浮かび上がってきます。原発事故後の対応、農業の構造的な問題、政治家の資質、人々の無理解・無関心……。それでも、彼は絶望することなく語り続け、土地を耕し続けます。

 「大地を受け継ぐ」のは、彼だけではありません。そして、受け継ぐのは大地だけではありません。そこに染みついた記憶――歴史までをも受け継いでいくのです。彼の話を聞く、東京に住む若い世代。足を踏まれたことのない彼らは、そして、我々は何を受け継ぐことができるのでしょうか? この映画がそのことを考えるきっかけになればと願ってやみません。

 


 

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監督: 井上淳一

1965年7月12日生まれ、愛知県出身。早稲田大学卒。大学入学と同時に、若松孝二監督に師事し、若松プロ作品に助監督として参加。90年、『パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち』で監督デビューする。以後、脚本家に転身。『パートナーズ』(10・上海国際映画祭)、『アジアの純真』(11・ロッテルダム映画祭)などの脚本を書く。2013年、『戦争と一人の女』を再び監督。慶州国際映画祭、トリノ国際映画祭ほか、数々の海外映画祭に招待される。また、09年の釜山国際映画祭では脚本作品『退廃姉妹』(青山真治監督)が企画マーケットでグランプリを受賞。現在、韓国・中国合作による、慰安婦をテーマにした監督作を準備中である。